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ただ君の幸せを‥‥。

44.苦し紛れの嘘



長い長い沈黙が続く。
じっとお互い見つめあったまま、口を開こうとはしない。
葉瀬倉君は、じっと静かに私の答えを待っているようだった。
けれど、何て答えればいいのか分からない。
何か言わなければと頭では分かっているけれど、混乱しきっている私の思考力ではそれを考えることは難し かった。
とにかく、記憶が戻っているということを認めるわけにはいかない。
認めてしまったら、歯止めが利かなくなってしまうかもしれない。
なんとか押し込めているこの想いが溢れ出してしまうかもしれない。
それだけは、なんとしてでも避けなくてはいけないのだ。
例えその姿が滑稽に見えたとしても‥‥。

「‥何のこと?」
「え?」
「残念ながら記憶は戻ってないよ。和樹君には本当に悪いと思ってるけど」

明らかに葉瀬倉君は私のことを疑っている。
何を言っているんだ、こいつは?とでも言いたげな表情をしてこちらの様子を伺っていた。

「出来ることなら、早く思い出してあげたいけど‥。なかなか、ね」

白々しい嘘だ。
冷たい汗が背中をつぅーと静かに滑っていく。
本当はざわついているはずの周りが、緊張のあまり何も聞こえないでいた。
静かだ。そう感じているのは、私だけ?

「なら、どうして『和樹』って?」
「え?」
「さっき、『和樹』って呼んだろ。あんたはいつもあいつのこと『和樹君』って言ってた」
「私、和樹って言ってた?」

務めて平静を装い、何事も無かったかのように言ってのける。

「達也君が呼び捨てにしてるから、それがうつっちゃったのかもね。ほら、無意識程怖いものは無いじゃな い?」
「‥‥‥‥」

馬鹿げてる馬鹿げてる馬鹿げてる。
こんな嘘、すぐにバレるに決まってる。
でも、私が取るべき道はこれしか残っていないのだ。
唇をグッと噛み締めた。それに気付かれないようにそっと俯く。

「分かった」
「え?」

その時聞こえてきた声に、私はハッと顔を上げる。
ジッと葉瀬倉君の顔を見つめると、彼もこちらに視線を向けた。

「分かった。もう、何も聞かない」

その瞬間、全身の力が一気に抜けた。
ホッとしている私とは対照的に、葉瀬倉君の表情は強張っていた。
怒っているようにも見えるその姿に、私も少し緊張する。

「ずっとそうやって自分に嘘を吐いておけばいい。そうやってずっと勝手に苦しんでいればいいっ」

サッと立ち上がった葉瀬倉君。
ちょうど私の視界にはグッと握り締めた彼の拳が入ってきた。
それから目線をすーっと上に上げていく。
目線を上げた先には、私を冷めた目つきで見下ろす葉瀬倉君の姿があった。
ゴクリと唾を飲み込んだ。こめかみから汗が一筋流れ落ちていった。

「だけどな、覚えとけ。苦しんでいるはお前だけじゃない。和樹だって、斎藤さんだって‥今まで苦しんで きたんだ」
「‥っ」
「これから、お前がそうやって嘘を重ねていくだけ和樹達だって苦しんでいくんだ!!お前だけが苦しいと 思うなっ」

言われるまでも無い。そんなこと、充分理解している。
嘘を突き通すと決めた時点で、覚悟はもう出来ている。

「俺は、羽田さんのことを良く知らない。だけど、今の時点であまり良い印象は無い」
「‥‥‥‥」
「正直、何でこんな奴の為にそこまでって思う。だけど、あいつは‥‥」

いきなり文句を言われて、少しだけムッとする。
何であなたにそんなこと言われなきゃならないの?と思った。

「‥だけど、あいつはっ‥」

そう、もう一度繰り返してから、彼は言った。
少し切なげで、今にも泣いてしまいそうな顔をして‥‥。


「羽田 留美。あんたの幸せだけを願い続けてんだよ」


目を見開いて、硬直する私に苦笑いを彼は浮かべた。

「これで、あんたの記憶が戻ってなかったら俺最悪だな」

そうボソッと呟いてから、背を向けて歩き出した。
その場に1人取り残された私。
ベンチに深く深く腰を下ろし、呆然とする。


『あんたの幸せだけを願い続けてんだよ』


何度も何度も頭の中でそのフレーズを反芻する。
滲む視界で、目の前の風景が歪んで見えた。

「お姉ちゃん?‥泣いてるの?」

公園に遊びに来た子供が心配そうに覗き込んでいる。

「大丈夫だよ。ちょっとだけ、悲しくて涙が出ちゃっただけだから」

溢れ出した涙を乱暴に手で拭い、今の精一杯の笑顔を見せた。
ねぇ、今の私に‥あなたを想い涙を流す権利はありますか?


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